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瀬見温泉に残る
義経・弁慶の足跡をめぐる
義経・弁慶の足跡をめぐる
瀬見温泉には、義経・弁慶に関する伝説が数多く残っています。
室町時代に書かれたとされる、義経一代記「義経記」によると、
兄源頼朝の追っ手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年
(1187)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温
泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子
安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数かず
の伝説、旧跡が残されています。
悲劇の武将として伝えられる義経に、哀れみと親しみを感じ、
各地に伝説が残ったのではないかと思われます。遠く平安時代
に思いをはせ、伝説の場所へ足を運んでみませんか。
室町時代に書かれたとされる、義経一代記「義経記」によると、
兄源頼朝の追っ手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年
(1187)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温
泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子
安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数かず
の伝説、旧跡が残されています。
悲劇の武将として伝えられる義経に、哀れみと親しみを感じ、
各地に伝説が残ったのではないかと思われます。遠く平安時代
に思いをはせ、伝説の場所へ足を運んでみませんか。
▲義経大橋
瀬見温泉の由来について
文治三年(1187年)春、兄頼朝の追討を逃れ、奥州平泉に落ち
のびる義経主従13名が、亀割峠を越え当地にさしかかった時、か
ねて身重の北の方が急に産気づき途方にくれた義経は亀割山
中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶は産湯を求めて沢へと下っ
た。浅き瀬、を見て川を渡り紫雲立ちのぼる川辺の大岩を薙刀
で突き破ると不思議にも白龍昇天のごとくお湯が噴き出たと
いう、このお湯でまもなく生まれた若君の産湯を使い数日をこ
の地で養生し回復をまって平泉へ向かったという、これが瀬見
温泉発見の由来である。
建立の年代は定でないが、度々の火災にあい、現在の本堂は享
保年間(約1718年)頃に再建されたものとされている。
祭神は湯の守護神である薬師如来と不動明王が祀られている。
欄間や木鼻の彫物は、初代 出羽の勘七木竜の作といわれてい
る。祭礼は毎年九月一日である。
のびる義経主従13名が、亀割峠を越え当地にさしかかった時、か
ねて身重の北の方が急に産気づき途方にくれた義経は亀割山
中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶は産湯を求めて沢へと下っ
た。浅き瀬、を見て川を渡り紫雲立ちのぼる川辺の大岩を薙刀
で突き破ると不思議にも白龍昇天のごとくお湯が噴き出たと
いう、このお湯でまもなく生まれた若君の産湯を使い数日をこ
の地で養生し回復をまって平泉へ向かったという、これが瀬見
温泉発見の由来である。
建立の年代は定でないが、度々の火災にあい、現在の本堂は享
保年間(約1718年)頃に再建されたものとされている。
祭神は湯の守護神である薬師如来と不動明王が祀られている。
欄間や木鼻の彫物は、初代 出羽の勘七木竜の作といわれてい
る。祭礼は毎年九月一日である。
▲瀬見温泉の守護神湯前神社